小林虎三郎の精神

小林虎三郎の精神は「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」ですべて表されていると思います。
”まず初めに人有りき”優秀な人材がいてこそ、国も街も栄えると。
この精神は現代にも当てはまると思います。

小林虎三郎の歴史観や持論は彼が30歳のときに書いた論文集「興学私議」で詳しく語られています。
そのなかで小林虎三郎は、「学を興し、材を育し、以て経論の務をなすに及ばず」と書いている。現代風に訳すと「教養を広め、人材を育てあげれば国は富み栄え、兵は強くなり…」という意味だ。
国家にとって教育がもっとも重要だという示唆である。小林虎三郎が中心となって国漢学校を設立したのも、その考えからと思われる。

また、彼は「興学私議」のなかで綴った考えのもとに、長岡藩の教育改革を実践していきました。その目的は、「まちづくりと人づくり」である。
小林虎三郎の教育論である「興学私議」の基本をなす考えは、「人主の学」である。人のうえに位置するすべての者は、学問や教養(教育)を身につけて、道徳心と技術力を学んでいる者でなければならないという考え方である。
人は生まれながらに教育をうけ、人のための学問や教養を身につけることが大切だと説いているのである。つまり、教育とは自分を助け、社会に貢献するための基盤をなすものだというのが小林虎三郎の精神なのである。
また、「人は何のために生まれてきたのかをよく考えよ」というのが小林虎三郎の口癖だった。人の本質が改革の根底であるのであれば、人の本質をただせば改革はおのずと実現するというのが小林虎三郎の考えでもあった。

小林虎三郎の教育に対する熱情は止まるところ知らなかった。
明治8年、実弟の雄七郎を代表に、育英財団「長岡社」を設立。
身分や財産がなくても才能がある人材に高等教育を受けさせるようにすることを目的とした財団である。有志を募って支援を得た。
世界的人類学者である小金井良精博士をはじめ、海軍の近代化を推進した山本五十六元帥、東京帝大総長の小野塚喜平次、司法大臣の小原直、仏教哲学者の井上円了、詩人の堀口大学などがその恩恵を受けている。経済界では根岸練次郎や大橋佐平、橋本圭三郎などその数は実に多数にのぼる。
明治4年に実施された廃藩置県で、長岡藩は柏崎県に改称され、それにともなって国漢学校は長岡分校に改称。
明治五年の学制発布によって公立二十番小学校阪之上校に改められた。

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